スキー道
(スキー心理学)
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  中道スキー  」
File 0015
by ”Dr.N”  2001/09/25

  久しぶりに、このコーナーのタイトル「スキー道」に沿った内容です。

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  今回は「中道スキー」がテーマです。
  「中道・・」さてさてこの言葉は何じゃ?と思われた事でしょう。「中道」とは仏教用語で、仏陀が悟りを開いた時の考え方です。(英語ではそのまま”ミドル・ウェイ”)
  これが案外、最初に書いた「スキー道」やスキーの楽しみ方と関係があるのです・・
  本当は「あがりの対処法」で紹介した「空」という考え方の前に紹介すべき内容なのですが、後になってしまいました。

  さて、仏教と言うと皆さんはお寺をイメージすると思います。仏教は死んだ人を弔う為のものだと思っていませんか?実は、本来、仏教とは「どう生きるべきか?」を問う人生哲学なのです。
  ブッダが悟りを開くシーンは「リトルブッダ」という映画に以下のように描かれています。

  古代インドの王家に生まれたシッダルータ王子は城の中で何不自由のない生活をしていました。29歳になったある日、初めて城の外を見て、人々の苦しみを知り、また、死というものを知りました。意を決したシッダルータは王子という肩書きや家族を捨て、人々の苦しみを救う為の真理を探す旅へ出かけます(出家)。

  シッダルータは苦しみを知り尽くせば悟りが開けると考え、苦行者と共に過ごします。河べりの菩提樹の下で座禅を組む事6年間。しかし、悟りは開けませんでした。
  ある日の事、河を行き交う舟の上から弦楽の調べと共に話し声が聞こえてきました。それは旅の弦楽者の師と弟子の会話でした。「弦は強く張りすぎると切れてしまうが、ゆる過ぎても良い音色は出ない・・」。その時、シッダルータは気づきました。「そうか私の過去の生活は緩んだ弦だった。今は張りすぎた弦である。その両極端を突き詰めても真の幸せは訪れないのだ・・・」
  これが「中道」という悟りを開いた瞬間です。悟りを開いたシッダルータはブッダ(悟りを開きし者)となり人々を救った。…と言うものです。

  ここで大切なのは極端(偏り)を突き詰めた所に真の幸せは無いという事です。いやそんな事はない!お金がいっぱいあった方がいいに決まっている。と思う方もいるかもしれません。しかし、私、Dr.Nが訪れたモンゴルの国境・スンベル村では電気・ガス・水道・風呂がなかったにもかかわらず、皆楽しく生活していました。もちろん飢餓状態では生活もできません。

  では、「中道」とは、漢字の通りセンターラインであれば良いのか?と言うと、そうではありません。「中道」という哲学の意味する所は「極端を排除した、その人に合った”ころあい”」という事なのです。
  スキーにはいろんな取り組み方があります。以前書いた「スキー道」ばかりを突き詰め過ぎると、非常に偏ったスキー生活になってしまいます。(まあそれはそれで充実して楽しいのですが・・)。もちろん検定合格を目指される方のやるべきスキーは、一般スキーヤーから見て多少、偏ったものになるでしょう。しかし、それは検定合格に向けた「ころあい」だと思うのです。
  人生には時間と言う制約がついて回ります。その制約の中で目的を達成するには、やはり突き詰める事が必要です。だからと言って会社勤めをしながらデモ並のトレーニングをするのは、やはりやり過ぎと言えるでしょう(それを苦も無く実行する人が全日本に行くのでしょうね)

  つまり、自他共にその人に合った「ころあい」を認識して実践できるかどうか?が大切なのです。そして、少しだけグローバルな視点でスキーを見る事ができれば、さらに広がったスキーの世界が待ち受けているはずです。そういう点では皆さんもスキーだけにとらわれず、いろんな世界にチャレンジしてほしいと思います。そうする事により違った分野で新しい発見があり、それがスキーに生きてくるものです。それが「中道的生き方」だと思います。

  話は変わりますが、「テロ」「報復」このキーワードは、共に極端を突き詰めた不幸な結果だと感じざろうえません。個人的には米国の報復行動には賛成ですが、欧米の過去の中東政策への反省なき「報復」は、世界を2分する争いになりかねない危険性をはらんでいると思います。

  私生活でも、このような対人関係ではなく、中道的な人間関係を目指して行きたいと感じています。

 

(2001/09/25UP)

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