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ありがとう! Martin Gugganig

 Martin Gugganig 氏は,2003年7月4日,不慮の事故で永眠されました。
   このページは,彼を追悼し 「マルティン・グガニック」を語るページです。
   皆さんの思い出や,彼との交遊録などぜひお寄せ下さい。掲載させていただきます。

  ※ さよなら具技男… マチャ … グッキーを語る   特別寄稿:「丸山政博」
  ※ グッキーへ…        皆さんからのお頼り
  ※ グッキーの足跡
  ※ グッキーとの交遊録 【TOK】…グッキーを語る。(教師日記からの転載を含みます) 


※ グッキーへ …

 *
  “S.T”さん 07/17  気持ちが落ち着いたところで…
 *  “K.Y”さん 07/12 デモキャンプ
 *   たなよさん 07/10 追体験させてください。
 *  “K.M”さん 07/09 あこがれのスキーヤー
 *  “Y.M”さん 07/09 信じられない気持ち
 *  “A.S”さん 07/08 悲しい現実
 *  “M.M”さん 07/08 グッギーの訃報
 *  matsuma さん 07/08  あぁ、グッギ〜!!
 *   M&Mさん 07/07 信じられない・・・・
 *   kikki さん 07/06 信じたくありませんが…
 *   “S.T”さん 04/03/2004 遅くなりましたが…
 *  “Kozmi”さん 07/14
  悪夢をみてるみたい…   
 *  “M.F”さん 07/10 グッキーさようなら!
 *  “M.K”さん 07/09 グッギーの思い出
 *  “みわ”さん 07/09 一度だけサヨナラ
 *  “U.M”さん 07/09 グッキーの研修
 *  “Y.Y”さん 07/08 グッギ−に黙祷
 *  “M.M”さん 07/08  ショクでした…
 *   waca さん 07/07 グッギィ…
 *   みんみんさん 07/07 わすれないよ・・グッキー


020  : “A.A”さん  04/03/2004
 私とグッギーとの出会いは、初めて彼が八方に来た89-90シーズンです。このときスキースクールのK.Mさんから、「オーストリアから何とかって言うデモが来てるから写真とってやるぞ!」といつもの調子でよばれて、109の前でグッギーと2ショットの写真を撮ってもらいました。4つ切に伸ばしていただき、今でも大事に保管してあります。
 昨年7月の第一報、もちろん信じられませんでした。
 95or96年だったと思いますが、家内と二人で特別講習会に参加し、グッギーはじめ、八方デモチームの方々におしえていただきました。グッギーはまだ片言の日本語で家内は左のストックが突けず、「Left,Left」と叫ばれていました。私は通訳役だったスクールのY.Mさんと、「その膝、売ってもらえないでしょうか?」と冗談まじりで話したり、技術は別にして非常に楽しいレッスンでした。
 夜は【TOK】さんのメルツェンで酒を酌み交わし、ski以外でもグッギーの人柄にほれ込んだのもこの頃でした。
 その後は、懐も寂しくなり、レッスンには参加できませんでしたが、スクールの指導をしているグッギーを見つけては、後ろをついて行き「う〜ぅん、あの膝・・・」「昔と違って日本語上手になったなー」……。

 以上、とめどもなく、まだまだ書き足りないのですが、これにて失礼します。


  “A.AT”さん, e-mail ありがとうございます。グッキーとの思い出…久しぶりに頂きました。日本語,本当にうまかったですネ!。通訳要らずの素晴らしいスキー教師でした。
  彼が逝って約9ヶ月になります…。時が経つのは早いものです。この冬,毎日のようにグッキーの事を想いながらレッスンをして来ました。


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019  : “S.T”さん  07/17  06:12

 気持ちが落ち着いたところで…

  山梨のSTと申します。気持ちが落ち着いたところで私なりのグッキーのエピソードを紹介したいと思います。
  私は、グッキーのレッスンを受けるようになってから6年になります。八方ssでは、上級者限定のため、オープン参加ができる草津ssや、中里ssで参加していました。参加者は技術選県予選出場されている方から、今年は、小学生(地元のスキークラブにはいっていますが)まで。SAJ2級以上のレベルであれば誰でもOKでした。

  まずは、スキーレッスン以外で
  1泊2日のキャンプでのときは、参加者は彼と食事を一緒にとることができました。夕食のとき、開口一番、グッキー:‘そこの七味とってください。‘周りは一瞬驚きの表情でしたが(まさかグッキーの口から七味という言葉が出てくるとは)、煮込み料理だったと思いますが、七味かけて食べていました。夕食は、自分でトッピングしながら食べる手巻き寿司もありました。グッキーは、寿司飯だけを皿にとって食べていました。ビネガーで味付けしているご飯と説明すると’おいしい‘といいながら。彼の味噌ラーメン好きは有名ですが、実はお米も。オーストリーに、’あきたこまち‘と’コシヒカリ‘を送って食べているとのことでした。お米の銘柄まで指定しているとは、日本人以上。
  硫黄のにおいがしてくると、‘温泉、温泉’といい、特に草津温泉は気に入っていたようです。
  ヘルマンマイヤーがオーストリー国家教師検定を取得したときの教官がグッキーだったそうです。滑りはパワフルで、こぶ斜面のこぶをぶっ飛ばしながら滑っていたそうです。
  山小屋について話してくれていました。山小屋(おじいさんが作った?;記憶が確かではありません)持っていて、そこの山小屋には、電気もTVもなく、そこで夜空を何も考えず見ているとすごくいいと。通いなれたところで、夜無理な近道をしたため今回の不幸なことになったのでしょうか。

 レッスンについて
 スキーはバランスのスポーツである言っているのはご承知のことですが、レッスンであとよく言っていたことは、ナチュラルポジション、ナチュラルスタンス、スピード。よくポジショニングで足裏の中心についての質問が出るのですが、ナチュラルポジション、ナチュラルスタンスについてはいつも例えて説明していたのが、“スキーも歩くのと同じ。いつもつま先だけで歩く?、踵だけで歩く?、足を広げて歩く?。”レッスンでは、やや踵よりで滑ったほうが、よく褒められました。“うーん。あとちょっと1mm前かな。でもよかった。”
  スキーをステップアップしていくには、スピードが必要であると。‘あと1キロ早く滑って!スピードアップ、スピードアップ!’
  グッキーは、ピステが入っているバーンでは、あまりレッスンをしないはご存知の通りです。不整地、深雪、アイスバーンのどれかに必ず連れて行きます。しかし、そこのバーンの状態をよく把握していることには驚かされます。まるでそこのスキー場で育ったかのように。‘ここは、転んでも痛くないから大丈夫。’合流点、や分岐点では、必ずそこに立って、生徒を誘導していました。
  斜滑降を‘チャカッコウ,チャカッコウ’と言いますので、初めて参加された方には、直滑降と聞こえるらしく、‘ええ!、こんなところ直滑降ですべるんですか?’と誤解されますが、グッキーの滑りを見れば、ノープロブレム。
  今年、草津でのレッスンの最後に、今までになく言ったことは、“スキーのベイシックは、クロッケンハウザーのバインシュピールであり、今も変わらない。”

 心から哀悼の意を表します。

  “S.T”さん, e-mail ありがとうございます。
  彼は本当に日本の食事が大好きでしたネ!。好き嫌いはあんまり言ったことを聞いた覚えがありません。生活は本当に「自然派」とでも言いましょうか,人工物はあんまり好きではありませんでした。だからオーストリアとの行き来でもほとんど,東京は素通り…。前回は奥さんと子供さんを連れて来ての日本滞在でしたが,京都とか東京とかは案内してないんじゃないでしょうか?私も,バインシュピールが大事な基本である…と思っています。     【TOK】



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018  : “Kozmi” さん  07/14

 悪夢をみてるみたいでした。

  こんにちは。初めておたよりします。
  グッキーの突然の死・・頭が真っ白でした。私は2年前岐阜県の朴の木平スキー場でグッキーのレッスンを受けさせてもらった者です。彼はそのスキー場で一番斜度があり、荒れているコースから全速力で飛び出して行ったかと思うと岩で盛り上がった所をジャンプ台にして空中で前転し、さらに足場の悪い所に難なく着地をしてアット言う間に小回りをして下までおりて行ってしまいました。
  はっきり言ってすごすぎてレベルの低い私は何の参考にもなりませんでしたが、今でもあの目の前で見たど迫力のアクロバティックな滑りは目に焼きついて離れません。その後白馬でもちょくちょくグッキーを見かけ時には、「奥さん!」と(その呼び方は辞めて!と思いながら)気さくに話しかけてくれた事を覚えています。
  国際技術戦でしたでしょうか?殿様かつらをかぶって堂々優勝しちゃう辺り、彼は私の中で大ヒットの天才スキーヤーでした。マンガを描いていた仕事柄、ああいうギャグは私のつぼにはまりまくっていました。いつか彼を題材にした面白スキー四コマなんてかけないかしら?と勝手ですが想像してほくそえんで・・・。
  今はいろいろな理由から先シーズンからスキーはお休みでNYで仕事の再出発をしています。私は悲しいです。いくらNYにいる友人にグッキーのすごさを語ってもスキーヤーで無い周りは中々理解してもらえず一人泣いてます。
  日本に戻りましたらグッキーの言葉をもう一度かみ締めながら八方で又滑りたいです。彼との少しではありましたが過ごした時間一生忘れません。きっと彼は白馬の風になって又私達に会いに来てくれるでしょう!
  だからさよならはいいません。又八方で・・・

  NYご滞在ですか?今はInter Netのおかげで世界のどこにいても瞬時に世界の出来事が分ります。彼の訃報…知らなかった!ということにならなくて良かったですね。グッキーもいろいろな国の人に愛されながら短い命を閉じました。でも,彼にとって日本が母国に次いで二番目に安らぐ国であったように思います。キットいろいろなエピソードがマンガの題材になると思います。お気持ちが安らぎましたら,ぜひそのマンガ,拝見したいものです。楽しみにしております。   【TOK】

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017  :たなよのおうち管理人 さん 07/10(木)17:56

追体験させてください。

>何か彼のために、彼の八方でのスキー教師としての足跡をたたえるために、そして感謝するために、彼からレッスンを受けたすべての人の思いを込めて、残された私たちにできることはないのでしょうか・・・?

 わたしは今シーズンからスキーにはまったので残念ながらグッキーさんのことは存じ上げていませんでした。そんな素人ですが・・・いま教師日記の連載でTOK先生の文章や投稿されている方かだの文章を通して、新人の素人が・・・追体験を受けています。 

>コブはどれが失敗だったと思う?全部だよ全部、あっ後傾だとか・・・それを全部リカバリーしながらなんだ・・・とか 

 他にも一杯いっぱいグッキーさんの言葉を伝えてください。追体験させてください。直接出逢えなかった人たちに・・・ 今シーズンまではアフタースキー程度で今シーズンの指導者からの影響でスキー中毒になるくらいにはまった・・・まだまだスキーの新人の私を含めた素人の方々に・・・。 どうぞそのスキーに対する想いがたっぷりつまった素敵なアドバイスを公開して還元してください・・・。文章で・・・でも追体験したいです、させてください。

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016 matsuma さん 07/08(火)10:34

 
あぁ、グッギ〜!!

 本当に? 本当に本当の情報なのか??
 昨日、W.KさんのHPのBBSでそんな書き込みを見て、まさか冗談だろう、と思ってました・・・.けどTOKさんからの情報なのだから、たぶん本当のことなんだろう・・・でも信じられません.受け入れ難い現実です.この冬、またあの笑顔で八方に現れるのでは、と残念です.もっとグッギーの滑りを見たかった! また一緒に滑りたかった!!それはもう叶えられない夢なんですね.悲しいです.
 心より、ご冥福をお祈りいたします.

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015  waca さん 07/07(月)22:54

グッギィ…

 残念でなりません。美しく豪快な滑りはもちろん、温かくてユーモアに溢れた人柄に触れていっぺんでファンになりました。
 来シーズンもレッスン受けるのを楽しみにしていたのに…。残された家族の事を思うとやりきれない気持ちになります。
 ご冥福をお祈りします。

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014 M&Mさん 07/07

信じられない・・・・

 グッキーの訃報・・・・。あまりにも悲しいニュースですよね。。。残念で仕方がありません。
 ご冥福をお祈りいたします・・・。

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013  :みんみんさん  07/07

わすれないよ・・グッキー

 八方のスクールで一般レッスンに入ったときでした・・・
 真っ赤なスクールユニフォームに身を包みスクール講師として紹介していただいた指導員…今日はラッキーだね!上級班はグッキーですよっ!って紹介されてうれしそうにフレンドリーに微笑んでいるグッキーがいました(ここって八方だよね?)
 ネームプレートの「丸山 ぐきお(難しい漢字を思い出せないおばかな私)」を見て微笑んだら,八方のスクールではこのネームなんだよつて微笑み返してくれました。あの日の楽しかったレッスンもあの華麗な滑りもずっとずっと忘れないよっ。
 ありがとうグッキー・・・
 ご冥福をお祈りいたします

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012  kikki さん  2003/07/06(日)20:45
信じたくありませんが・・・( ┰_┰)

 あの、グッギーが・・・
 つい、この間トークショーで元気な姿を見たばかりなので、余計に現実を受け入れられません。
 ご冥福をお祈りします。。。

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011 “K.Y”さん 07/12 0:21

 TOK先生!こんにちは!
 何度かデモキャンプに参加しておりました三重県の“K.Y”と申します。
 本当に今回のこと、まだ信じられません…。何年か前のデモキャンプのパーティがメルツェンであったとき、グッキーが得意げに、僕らに「わたし、日本語で名前かけるよ」というので「じゃ、書いてみてよ」といったら、コースターに「○珍 具賀肉」と書いていました。もちろん珍の字はまるで囲んでいました。大爆笑の渦でした。
 僕が「誰が教えたの!」と笑いながら叫んでいたところ、あの宮崎○美子さんがボソっと「はい。。」と挙手してました。あの光景を思い出すたび、今となっては涙が出てきます。
 彼の無邪気な人柄を表す、エピソードでした。
 それではまた。。。

 グッキー…そういえば,そんな茶目っ気がありましたネ…。私のレッスンのクラスの中に突然紛れ込んで,わざと下手な演技をしたり…,他の教師がスキーブーツを乾かしていると,左右のインナーを入れ替えて知らぬふりをしたり…。
 宮崎先生も彼とは大の仲良しでしたから,キット落ち込んでるに違いありません…。【TOK】


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010 “M.F”さん 07/10 13:33

グッキーさようなら!!!

 信じられません。
 去年黒姫に行った時 乾燥室でワックスがけしてたら何とグッキーが入って来て自分の板のチューンを始めました。えっつ?自分でするの?とかなりびっくりしました。人任せなのかと思ってたから・・・・・・。。。凄い!!!と思ったその瞬間に速攻で部屋に帰り色紙とデジカメ持って来てサインと写真撮影をお願いしました。心良く受け入れてくれて「日本語上手いですねつ」と言ったら「まあまあ〜ぼちぼち」と答えてくれたのが凄い印象的!仲間がせめてものお礼にと紙折りの鶴をあげたらとても優しい目で受け取ってくれたのです。本当に優しい表情が今でも忘れられません。
 今 新コブの極意のビデオを流しながらその時に撮った、二人とも親指を突きだしてのショットを眺めて放心状態です。何とも言いようがありません。本当に残念でなりません。
 レッスンとかはレベルが高いから受けるのが恥ずかしいと思ってたけど、今となってはレッスン受けた人達がとてもうらやましいです。。。ただ憧れの眼差しで遠くから見てただけです!ロングもショートも強烈にかっこ良かった!コブの生滑りも見たかったなぁ〜〜〜。。。
 どうしてこれだけ数多くのファンがいるのに先に死ぬ様な事をしたんだっ!!!『馬鹿野郎』って叫びたい心境でいっぱいです。(パクリですみません)
 グッキーの本に谷足100パーセントって書いてあって迷いが消えたのも自分にとっては凄い意味ある事でした。
 夜勤明けで勢いで書いたので文章が滅茶苦茶かも知れませんが今の本心を書いたつもりです。
 彼のご冥福を心よりお祈り致します。

 日本に来た初めの頃は,さすがに通訳を介してのレッスンでした。でも3年もしない内に日本語を話すようになり,途中から「通訳イラナイ…。ダイジョウブ、ダイジョウブ…」と言っては一人でレッスンをするようになりました。多分,自分の言葉でじかに生徒さんに話し掛け,コミュニケーションを図りたかったのだと思います。こういった細かい心配りが自然にできる人でした。今にして思えば,レッスンを受けることができた人は幸せ者ですね?【TOK】

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009 “M.K”さん 07/09 23:41

 こんばんは。“M.K”です。
 グッギーの訃報、私も残念でなりません。でも一番無念に思っているのはTOKさんですよね。グッギーのことを良く知っているとは言い難い私ですが一度だけ彼にはお世話になりました。その時の思い出を送らせてもらい彼への感謝としたいと思います。

グッギーの思い出
 私が初めてグッギーのレッスンを受けたのは一昨年の1月でした。グッギーのことはビデオ等で知ってはいましたが、TOKさんの話に良く出てくることもあり参加してみようというのがきっかけでした。
 上級者限定という2日間の予定のレッスンでしたが、上級者まがいの私にすれば世界一の滑りとやらを見せてもらいましょうか、という冷かし半分のつもりで参加したのでした。初日のレッスンが始まりました。どんなレッスンかと興味を持っていましたが、基本的な滑りをさせて少しコメントを出す、といった繰り返しで、正直なところグッギーにしても教えるとなるとこんなものかと思ったものでした。
 午前も終わりに近づいた頃、「さあそろそろたくさん滑りましょう」となりそこから・・・。 それは私にしてみればレッスンというよりは、体力勝負の肝試しみたいなものでした。ひたすら滑る、こぶだろうと悪雪だろうと急斜面だろうとおかまいなしでした。しかもそこを普段はそうやって滑らないだろうなというような滑り方で滑るんです。参加したみんなも、「おいおいちょっと待ってくれよそこ行くのかよ」の連続でした。でもグッギーは「チャレンジすることは大切ね」と笑って滑り始めてしまうんです。私だけでなく参加した多くの方が、自分との戦いに近かったように思います。アドバイスはありましたが、少なくとも私にはそんなことを冷静に聞いていられるような状況ではありませんでした。ついていくのが精一杯で。
 そんな2日間でしたが、最後まで誰一人文句を言う人はいませんでした。参加した皆が充実し満足した顔をしていました。今思い出してみても、どのように滑りなさいとかどこを直しなさいとかの記憶はまったくありません。楽しくそして果敢にチャレンジすることそれだけが深く記憶に残っています。言葉ではなくて身をもってスキーを教えようとしてくれた。それがグッギーのレッスンでした。
 グッキーのすぐ後ろについて滑る機会が何度かありました。その時にほんの少しだけ私にもグッギーのすごさが垣間見えたような気がしました。天が彼に与えたすばらしき才能が・・・。
 彼にはまだまだ私たち多くのスキーヤーに残すべきことがたくさんあったのに。そしてそれは彼にしかできないこと。だからこそ彼の早すぎる死が残念で悔しくてなりません。でも今は静かに彼の冥福を祈ります。来シーズンの八方では、彼に連れられていった斜面を思い出しながらまた滑ろうと思います。彼の魂が八方の山にいつまでも残ることを願いながら・・・。

 彼は,「日本の生徒さんは私から少しでも多くの情報を集めようとしている。でもそれはあんまり必要ない。技術の説明はあくまで説明で教師の数だけある。だから,その内容にこだわってしまうと,よけい難しくなる。技術の内容にではなく,いろいろなシチュエーションに飛び込むことです。技術論を千回聞くよりも,教師の感覚を自分の感覚として一回でも感じとり,フィーリングを盗むことです。」…ということを良く言ってました。
 "Learning by doing" is better than "Learning by learning"と…。 【TOK】


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008 “K.M”さん 07/09 23:07

 Tok先生へ  “K.M”・・・です。
 それは・・・それとしても・・・なんて言うか・・・自分は負けず嫌いな反面、結構泣き虫な自分なので、4日の夜の明石夜の宴席と、その後のギャップが大きすぎて言葉もありません・・・・・。
 今回の事故について、掲示板に何か書き込もうかとも思ったのですが、何とも気が重いし・・・気がすすまなくて、書き込み出来なかったというのが正直な心境です。ここ4日間、色んなBBSを見るたびに・・・かなり気が滅入ってました。が、今は少し気持ちが落ち着いたのでメールします。
 正直なところ自分は、マルティンを画像を通してしか知りません。しかし、あこがれのスキーヤーの一人であった事は紛れもない事実です。私的にはベルントの次に好きなスキーヤーでした。
 7月5日の日曜の夜も、いつもの様に、いろんなサイトを見ていると、マルティンの訃報を知らせる書き込みがチラホラ見られました。3年前だったか、出口沖彦さんと子供達のケーブル火災事故・・・・・や、1年半程前だったか、雪崩によるベルントさんの事故・・・・・を事を思い出し、信じたくはないけど、多分今回も事実だろうと直感しました。だから余計に・・・ベルントの事故の次が・・なんでマルティンなのかと・・・なんて言ったら良いのか・・・・・何も言葉が見つからないです。
 出口氏は確か自分と同い年で、同じくらいの子供を持っていた事もあり、避けられない事故にあったという事で非常にショックを受けました。ベルントの事故も、この上ないショックでしたが、オフピステが好きだったのかな・・・という印象もあったので、ある意味・・好きな事をやって死ねたら本望か?!・・・という思いも少しあったのは確かです。[ただベルントの事故について、こんな風に簡単に言ってしまうと、反論もあるだろうし、家族も含めた周囲の思いを無視した自分勝手な言い分だと言う事は解っています。・・が、自分自身も女房から好きな事を、好き勝手にやる事を許してもらっている身なので、もし自分がその当事者なら、好きな事をやっている最中に不慮の事故にあっても自分的には本望だと思ったので、あえて・・そう表現しました。]
 ・・・・でも今回のマルティンの事故は、チョット違う様な気がして仕方ない。滑落事故が何故、どの様な状況で起こったのか、知る由もありません。でも・・なんか・・・、明石でTok先生から私の車の運転について,「飛ばし過ぎて・・・事故した事ないの?」と注意を受けたあとだけに余計に思うのか知れないですが、自分自身が注意してたら防げたんじゃないかという気がしてなりません。それだけに・・余計に悔しくて、非常に残念です。
 彼の冥福を祈ると共に、彼のビデオを10年以上前の古い物から順番に見ることで、自分なりの供養をしています。後何ヶ月かでたぶん、ベルントの三回忌になるんじゃないかと思うので、彼のビデオも併せて見ています。
 仲間としてのつき合いがあったTok先生に、彼を画面の中でしか知らない自分がこんな事を言うのも非常におこがましい限りですが、どこかのBBSにも書いてあった通り「仲の良かったベルントの所に遊びに行ったんだ。」と思うようにしています。
 あの、赤いキャップは・・・・そうだったのかと・・・今更ながら感慨にふけっています。
 合掌・・・・

 みんなグッキーのことを,良い人だったのに!…という思いで書いてくれています。でも,私の心の中に“K.M”さんと同じ気持ち…グッキーが注意してたら防げたんじゃないか!という気持ちもあります。大事な子供や奥さん,そして多くのファンを残して死ぬようなことをどうしてやってしまったんだ!!!馬鹿者が!!!
 今(7月10日朝)伝わってきている情報では,「体調を崩している家族のことが心配で夜の山道を降りた…」ということらしいですが…。そういう優しさが彼の良いところでもあったのだけれど…。      【TOK】


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 下の 007 は「SGの“みんなの掲示板”」に投稿されたものです。ご本人のご了承を得ましたので,ここで皆さんにご紹介いたします。グッキーの人柄が本当に良く偲ばれるエピソードです。
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007 “みわ@八王子”さん 07/09

一度だけサヨナラ

 昨夜は、グッギーと一緒に行ったツアーやレッスンのビデオを見ました。これはヤバいかなと思ったけど、意外にも冷静に見られました。「去る者は日々に疎し」とは良く言ったものですね。最後に一度だけ、生前のグッギーのことを語って、それで個人的なサヨナラに代えたいと思います。不快だと思う人、いると思うけど、一度だけ勘弁してください。
 彼は、日本と日本人スキーヤーを愛してくれた人でした。漢字でサインをし、日本語で良く冗談を言いました。ユニティのキャンプで秋田県千畑の民宿に泊まると、民宿の郷土料理を喜んで食べてました。千畑の民宿のオバちゃんに愛されてました。
 レッスンでは、いろんなレベルの人を教えていましたが、ホントに生徒一人一人に気を配り、一人一人のことを考えてくれました。だから、二級レベルの人と県代表レベルの人が同じ班になっても、全員が満足するレッスンをしました。
 「スキーはバランスのスポーツ」と良く言ってました。「バラバラ雪は先生」というのも口癖で、生徒を悪雪に好んで連れて行きました。踏み荒らされた悪雪でバランス感覚を覚えさせたかったようです。
 ある時、下で滑りを見ていろ、と言うので、みんなで見ていたら、「完璧」に見えるショートターンで整地を降りてきて、「今、何ターン、ミスをしたか」と言うので、ミスなんて無かったよなー、と思っていたら、「全部のターンがミスだ。いつも、『あっ、後ろ過ぎ。あっ、今度は前過ぎ』とリカバーしながら滑ってる。完璧なショートターンなんて雑誌の中だけなんだ」と言ってました。グッギーの教えの中で一番印象に残った言葉です。
 都会とザウスとカービングショートを嫌ってました。田舎と荒れた斜面と新雪が好きでした。
 国際技術選で優勝した時の滑りについて尋ねると、「レッスンと同じ滑り」と答えていました。競技会でも、マテリアル・滑りともレッスンのままでした。生徒に嘘をつかないスキー教師でした。
 NZツアーの時、現地の法律でレッスンが禁じられているのに、レッスン行為をして、帰る間際、パトに捕まってしまったらしいのですが、ツアーのメンバーには、一言も捕まったなどと言いませんでした。ツアーの楽しい雰囲気を壊さないように配慮してくれたらしいのです。帰国してから、何人かで話し合って事情が判り、その時、話し合った皆がグッギーの配慮に深く感謝しました。僕は、実は、その時からグッギーの信者なんです。
 彼は、全ての意味で、世界一のスキー教師でした。
 サヨナラ、グッギー。サヨナラ。 

 “みわ@八王子”さんの仰るとおりの人でした。スキー教師の良いお手本だった…と言ってしまっては彼の評価が軽過ぎます。これから,多分世界一の素晴らしい教師になられ,多くの教師に良い意味の影響を与えられる指導者になれた人…いや,なるべき人だった!と信じています。“スキー”というスポーツが自然とのコミュニケーションを図る上でどんなに素晴らしいスポーツか!ということを彼はよく知っていたのです。
 スキー技術は雪の自然を楽しむための手段…。ですから,技術のための技術論を嫌っていました。カービング一辺倒の日本の現状に警告を発していました。自然と一体になれるから,そこに喜びがあり,楽しみがある。いろいろな技術を多様に学ぶことの必要性を説いていました。
 「イチバン大切ハ,エンジョイヨ!。サァー滑リマショウー!」        【TOK】


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006 “Y.M”さん 07/09 18:19

 先日のオフトレ・キャンプ夫婦でお世話になりました。“M.Y”です。
 キャンプでは、とてもお世話になりました。最新のトレーニング方法、腹筋の鍛錬やストレッチ、TOKさん流イメージトレーニングはとても参考になりました。また、今迄見ること無かった緑に覆い尽くされた八方嶺の下でのオフトレ講習.....心身共に本当にリフレッシュしました。レストランでの食事も最高、メルツッンでのビールも最高でした。また、今回はスプリングキャンプと違い天気も味方してくれて幸せでしたね!!.....と遅ればせながらお礼のメールを書いていた矢先グッギ−の訃報、HPにアクセスし、目に飛び込んできたその文字、信じられない気持ちでした。
 夫婦とも、残念ながらグッギ−との直接の関わりは有りませんでしたが、この4月に行われたスプリング・キャンプ中、グッギーの暖かい人柄に触れる事が出来ました。偶然にも私たちの講習の横でグッギ−がビデオ撮影か何かしている中、TOK先生の存在に気付いたグッギ−は、講習中茶目っ気たっぷりに私達生徒の列に並び、慣れた日本語でTOK先生と冗談を言い合って居られましたよね。
 そして、ゲレンデからの去り際にウェアの内ポケットからさりげなく”TOKさん赤が好きだから”と言って素敵な赤のキャップを今シーズンのサヨナラの変わりに手渡された時の、グッギ−の思いやりのこもった表情。そして、TOK先生の驚きと嬉しさの詰まった表情を見た時は、言葉を越えた間柄なんだなぁと。思わずには居られませんでした。周りで見ていた私以外の人達もきっと暖かい気持ちにさせられた光景だと思います。(やはり、この場面は一緒に受講されていたY.Yさんも感じて居られたんですね。)
 その後も、TOK先生はスプリングキャンプやオフトレ講習の中で、理想的な滑りついて話をされる時は、本当によくグッギーを例に話されていました。彼の滑りには、時代に流されない、基本に忠実で合理的なスキーが有ると。
 来シーズンは是非、私もそのグッギ−の講習会を受講してみようと心に決めていたのですが・・・本当に本当に残念です。
 心よりご冥福をお祈りしたいと思います。グッギー安らかにお眠り下さい。

 グッキーがビールを飲みながら語っていたスキー技術…本当に味わいがあります。このページや教師日記で,これから紹介させていただきますが, 『 “形を真似る”のではなく,自分で“感じながら行うこと”が大事… 』 という言葉に集約されていると思います。
 帽子…彼には話していないのですが,私がいつもレッスンで「キャップ」をかぶっているのを知っていて,いつか渡そうと機会を見ていたのだと思います。彼の懐に仕舞ってあった「思い出の“赤いキャップ”」…大事に末永く使わせていただきます。 【TOK】


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005 “U.M”さん 07/09 01:05

 グッキーにはじめて研修してもらったのは、もう10年以上前になります。
 スキー教師になって確か2シーズン目の事だと思います。スクール業務終了後の夕方研修会(P.M4:00〜) 彼はウサギ平の正面コブ斜面に一直線でした。ウサギ平リフトを降りてすぐに、「ストック置いていきましょう!」と。そしていきなり「ちょっとアクセル吹かして!」とバイクの右手でアクセルを吹かすポーズ。そして一気にウサギ平のコブ斜面を下までノーストックノンストップで降りていきました。(それも今までに私が見たことのない猛スピードで!) 私は目が点といいますか言葉を失いました。スクール教師2年目でまだまだコブ斜面に苦戦していた私には、その見たことのない光景にただただビックリでした。ノーストックでのあのバランス! あのスピード!とても人間業とは思えませんでした・・・
  まだまだいっぱい研修の記憶がよみがえってきますが・・・
  私も小回りが大好きです!

 コブのノンストック,コブの片足…トリッキーな滑りを時おり見せましたが,その全てが合理性に裏打ちされたものでした。だから美しかった!【TOK】

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004 “A.S”さん 07/08 22:25

 とっても悲しい現実を認識させられました。一度も直接のレッスンは受けていませんが、ビデオでものまねまねをしていました。蔵王で似てるねって言われていました(少し後傾)今シーズンはマテリアルを全て真似するつもりでした。
 今日もビデオを見て追悼します。51歳で指導者を目指します。スキーの自由度を伝えられる指導者になりたいと思っています。

 彼は本当に素晴らしいスキー指導者でした!。多くのスキー指導者が彼のような素晴らしいレッスンができたら…と思います。
 悪雪では,俗に言われる後傾気味が当たり前!…と言っていましたね。要は“バランス”だと… 【TOK】


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003 “Y.Y”さん 07/08 21:28

 【TOK】先生こんばんわ。 今年のスプリングキャンプでお世話になったY.Yです。私も一緒にグッギ−の為に黙祷させて頂きました。
 先生の日記にもありましたが、私も昨日,今日と力の入らない時間を過ごしました。 先生に日記は毎日欠かさず会社で(!)熟読していますが昨日の日記のタイトルを見たとたん 呆然としてしまいました。 まさか先生が間違ったことを書くはずが無いと思いつつ、他のサイトで情報を集めるしまつ。”間違い無い”と思ったとたん 目が潤んできて大変でした。仕事中ですし。。。
 この前のキャンプでお話したかもしれませんが もう13年前 グッギ−の講習を受けました。細かい内容は忘れてしまいましたが、グッギ−の豪快で、躍動感があり、また繊細な滑りが目に焼き付いています。その後は 大阪の開催されたデサントの展示会で会ったきり長い月日が経ちました。
 そしてこの前のキャンプ。 【TOK】先生の講習中にグッギ−が近づいてきては 冗談を言っていましたね。 先生もジョークを言い返したり。横で見ていて楽しいひと時でした。 ああ本当にこのお二人は仲が良いんだな、と感じました。グッギ−にもらった赤いキャップ、思い出の品になってしまいましたね。
 今年の冬は グッギ−の分も(?)滑りたいと思います。 メルツェンでの”ビンビン” 楽しみにしています。 それでは また。

 今ではスプリングキャンプでのあの日,グッキーが私たちのレッスンに近づいて来て,「Tok…コレ似合うと思う…。Tok赤が好きだから,あげるヨ…」と言ってスキースクールのユニフォームの赤と同じカラーのキャップを懐から取り出し,手渡ししてくれたのが,最後の思い出に…。大事に使います。 【TOK】

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002 “M.M”さん 07/08 11:20

 
グッギーの訃報
 残念で残念で・・・ 悲しさなのか、怒りなのか.とにかく一人で泣いています. この気持ちを何処にぶつけたら良いかわかりません.
 折りしもこの日曜日、送っていただいたビデオに入っていたグッギーを見ていました.ソフトでまったく無理がなく、雪と対話するように滑る姿を見て改めて感動し、「自分が目指したい滑りというのは、これなんだ!」と、来シーズンへの目標設定をした、その矢先でした.
 先シーズンのスペシャル企画でグッギーと一緒に滑りました.スクールに入ったにもかかわらず、私はグッギーからスキーの技術でなく、別のものを学んだ気がしました.スキーができることの楽しさ、というか.言葉では上手くいえないのですが、あれだけのエキスパートが、おそらく年に200日近く雪上に立つ人が、心からスキーを楽しんで、生徒に対しても「仲間」として接してくれているその人柄に、大いに感動しました.技術とは別のものが伝わってきたんです.だから、グッギーのレッスンは自分自身、本当に楽しめました.いろいろな人からレッスンを受けたことがありますが、それはまさしくオンリーワンの経験でした.
 その後もゲレンデで見かけて話しかけると、やっぱり「仲間」としてフレンドリーに手を振ってくれました. だからこそ、来シーズンまた八方で一緒に滑れることをとても楽しみにしていたのに・・・
 小回りのレッスンで、彼の長い足がエッジングのたびに柔らかく雪面を捉えていたその後姿が、本当に忘れられずに目に焼きついています.
 こんなことならスプリングキャンプの時、TOKさんに無理を言って、彼に最後に感謝の言葉を伝えれば良かった・・・
 とにかく今は、この現実を受け入れるしか仕方が無いようです.何か彼のために、彼の八方でのスキー教師としての足跡をたたえるために、そして感謝するために、彼からレッスンを受けたすべての人の思いを込めて、残された私たちにできることはないのでしょうか・・・?

 本当に彼は「スキー技術」だけでなく,それ以外の,人としての暖かさや,思いやりとはこういうことなんだよ!…ということを教えてくれました。それだけに彼の人柄を慕う人が多かったと思います。彼の足跡や貢献をたたえるナニか…。ご一緒に考えたいと思います。【TOK】

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001 “M.M”さん 07/08/03 03:58

 お昼休みに,先生の日記を見て,大変驚きショクでした。何かの間違いならいいなと,インターネットで,色々調べましたが,事実でした。
 私は,先生に,お会いするまでは,グッキーの存在は,余り分かりませんでしたが,先生のお店に行くと,何時もグッキーのビデオを拝見させて頂きました。凄く感動して拝見してました。来シーズン滑っている姿を一目拝見したいなと思っていましたが,その夢も,不可能となってしまいました。私にとって,【TOK】先生は,スキーの師匠だと思っています。グッキーは,イメージトレーニングの先生でした。一度もお会いしてない私でも,眠れない程悲しいです。大切なスキーの先生を一人失った思いです。
 先生にとっては,大変大切なスキー仲間を無くされたことは,想像外のショックだと察します。生きていくという事,又見つめ直さなければ行けませんね! 私は,スキーを始めるついこの間まで,5年ぐらいの間,スポーツから遠ざかり仕事に全力を尽くしてきたのですが,なかなか上手く行かず,生きがいを失っていました。でもこのままではいけないと思い,スポーツを生きがいにしようと決心しました。44歳の内約3O年間スポーツに挑戦して来たわけですから。やはりスキーをしていた時は,とても充実出来ていました。これも先生のお蔭だと感謝しています。先生も,お体には,充分気遣ってくださいね!

 彼の意思を継承して…とまでは申しませんが,彼が多くのスキーヤーに伝えたかっただろうな!…と思うことをこれからレッスンの中で生かして行きたいと思います。【TOK】


※グッキーの足跡


少年時代はFISレースで活躍(ケルン州ジュニア大会2年連続優勝)
1986年          シュタイヤマルク州検定スキー教師資格取得
1987〜88年シーズン  サンクリストフ国立スキー学校所属
1988年シーズン        オーストリア国家検定スキー教師資格取得
1991〜95年シーズン  サンクリストフ国立スキー学校所属
1991年 第14回         サンアントン インタースキーオーストリア代表デモンストレーター
1995年 第15回         野沢温泉・インタースキーオーストリア代表デモンストレーター
1996年 第1回           国際スキー技術選手権大会 総合第4位
1997年 第2回           国際スキー技術選手権大会 総合第4位
1998年 第3回           国際スキー技術選手権大会 総合第2位
1999年 第4回           国際スキー技術選手権大会 総合第1位
2000年 第5回           国際スキー技術選手権大会 総合第1位
2001年 第6回           国際スキー技術選手権大会 総合第1位